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学会出張で京都に行くなら『鴨川ホルモー』を読んでおくべき理由

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京都吉田神社鴨川デルタ鴨川ホルモー

京都 鴨川デルタ

京都出張のお供に『鴨川ホルモー』はいかが?

『鴨川ホルモー』とは、直木賞などに幾度ノミネートされている作家・万城目学氏のデビュー作であり、映画・マンガ・舞台化されている小説です。主人公は2浪の末、京都大学に入学した青年で、「京大青竜会」というサークルに勧誘されます。何か怪しい気配は感じつつも、彼は一目惚れした女性を追って入会。ところが、この京大青竜会、ただのリクリエーションサークルではなかったのです!!

やがて主人公は、「オニ」を操り勝敗を競う「ホルモー」という競技のために自分たちは集められたのだと知ります。
謎の競技「ホルモー」を通して、主人公と仲間たちの青春と恋愛模様をコミカルに描いた本作は、奇抜な発想と小気味よい文体、さらに登場人物たちの強烈な個性も相まって、若い世代を中心に大きな話題を呼びました。

内容の面白さに加え、センテンスの長さが絶妙かつ、テンポよくすらすらと読み進められるため、京都までのお伴にも最適な小説だといえます。

鴨川ホルモーに登場するスポット  「聖地巡礼」してみては?

舞台が京都ということで、『鴨川ホルモー』には「京都大学」をはじめ(万城目氏の出身大学でもある)、「京都御所建礼門」「下鴨神社」「上賀茂神社」「鴨川デルタ」「吉田神社」「蓮華王院三十三間堂」「糺の森」、各大学キャンパスほか、実在のスポットや祭礼などがたくさん登場します。そのため、小説を読んだ人たちの中には、「聖地巡礼」 ※ をする人も少なくないようです。

※小説やマンガ、映像作品などに登場した場所を巡ること。

京都出張に行かれるのであれば、『鴨川ホルモー』をガイドブックに様々な名所旧跡を訪ねてみてはいかがでしょう。

京都観光の隠れた人気スポット「鴨川デルタ」

京都 鴨川デルタ

京都市を北から南へ流れ、高野川と合流してからは京都市街地を通り、下鳥羽で桂川と合流する鴨川は、物語にも随所に登場します。なお、「賀茂川」とも表記されますが、高野川合流点から上流を賀茂川、下流を鴨川と呼ぶのだそうです。鴨川には、旧東海道の起点終点で交通上の要衝だった「三条大橋」をはじめ、源義経と武蔵坊弁慶が出会った「五条大橋」、古くは八坂神社(祇園社)への参詣道で、「祇園橋」とも呼ばれた「四条大橋」ほか数多くの橋がかかっており、四季折々の景観が観光客の目を楽しませています。

また、鴨川はデートコースとしても知られ、多くのカップルが川岸でくつろいでいますが、カップルとカップルの距離は、なぜか不思議と同じ間隔になるそうです。その性質は「鴨川等間隔の法則」と呼ばれており、彼らの姿は鴨川の名物(?)であるほか、卒業論文の題材になったこともあるのだとか。『鴨川ホルモー』のスピンオフ小説『ホルモー六景』にも、「新・天下三大不如意」として、「鴨川の等間隔カップル、足先の冷え、男ごころ」を定めたという一節があります。

数多ある鴨川の観光名所の中でも、近年、人気を呼んでいるのは、賀茂川と高野川の合流地点となる三角州・「鴨川デルタ」です。この付近一帯は「鴨川公園」となっており、「下鴨神社」「上賀茂神社」「糺の森」「植物園」などが点在しています。平日は周辺で働くビジネスマンやOL、学生らがランチを広げ、休日になると親子連れやカップルなどで賑わうこの場所は、小説では京大青龍会の「ホルモー練習場」として利用され、また様々な事件の舞台にもなっています。

また、インスタ映えすると評判の「鴨川の飛び石」も作中に登場。基本的には、「河床の安定を図ること」を主目的に設けられた、横断構造物(帯工)の上に、ひし形やおにぎり型といった様々な形のコンクリートブロックを配置したものです。低水位の時には人が渡ることができ、「水遊びの場」や「川を渡るための生活施設」として機能。ユニークな写真が撮れるフォトスポットでもあることも含め、鴨川を代表する風景になっています。

主人公たちがホルモーを継承した「吉田神社」

京都 吉田神社

主人公が上回生からホルモーを引き継ぐ、「吉田代替わりの儀」が行われるのは、京都大学の近くにある吉田神社です。儀式に参加する京大生たちは、奇天烈な踊りを繰り広げ、最後は裸になります。思わず吹き出すシーンですが、この日から主人公たちには「式神が見えるようになり、ホルモーに巻き込まれていきます。

吉田神社の創建は古く、貞観元年4月(859年)。当時の中納言藤原山蔭卿が、平安京の守護神として、古来より「神楽岡(神が集いし岡)」とされていた聖地・吉田山に勧請し創建されました。御祭神は、「武甕槌命」「経津主命」「天児屋根命」「比売神」の四柱。皇室の崇敬も厚く、永延元年(987年)には、朝廷の公祭に預かるようになります。

鎌倉時代に入ると、神職は卜部氏(後の吉田家)が務め、室町時代末期の文明年間(1469年~1487年)には、神官の吉田兼倶(卜部兼倶)が「吉田神道(唯一神道)」を創始。その拠点として、境内に「斎場所大元宮(重要文化財)」を造営しました。なお、斎場所大元宮は全国の神を合祀しており、「参拝すれば、全国の神社に参ったのと同じ効験がある」といわれています。

その後、吉田神道は「神道裁許状(全国の神社の神職の任免権)」などを与えられ、明治になるまで神祇界の宗家として権威を持っていたそうです。

現在の吉田神社は厄除け開運の神様として、多くの信仰を集めています。境内には、斎場所大元宮の他に、地域の氏神・雷除神として知られる「神楽岡社」や吉田兼倶を祀る「神龍社」など、様々な末社、摂社が鎮座しています。中でも珍しいのは、料理の神を祀る「山蔭神社」、お菓子の神を奉じる「兼祖神社」でしょう。というのも、創建者の山蔭は、日本で初めて食物を調理・調味したと伝えられる人物。そのため、包丁や料理、飲食の祖神として、多くの料理店や料理関係者業界が参拝に足を運んでいるのだそうです。

また、吉田神社は、室町時代から続く「節分大祭」でも知られています。京洛の一大行事として有名で、節分当日を中心に、前後3日間にわたって行われるお祭りには、毎年全国から数十万人もの参拝者が訪れるそうです。節分大祭では、古式にのっとり、次のような祭儀が催されます。

疫神祭 厄災をもたらす疫神に「暴れることなく、鎮まって下さい」と祈る儀式。
追儺式 「鬼やらい神事」とも呼ばれる。境内や参道で大暴れする赤・青・黄の鬼を方相氏(ほうそうし)が退散させる祭儀。節分に行われる豆まきのルーツともいわれている。
火炉祭 参拝者が神社に納めた古札やお守りなどを浄火で焚きあげる。その炎にあたると、無病息災をもたらすとされている。

鬼に関わる神社ということで、万城目氏は吉田神社を儀式の場所に選んだのでしょうか。ちなみに映画化の際、「吉田代替わりの儀」のロケはこの地で行われたそうです。境内で裸踊りする男たち……「よく許可が降りたな」と思わずにはいられませんね。

京都出張を100倍楽しませてくれる『鴨川ホルモー』

本書を携えて『鴨川ホルモー』ゆかりのスポットを巡ることは、京都出張を楽しく思い出深いものにしてくれるでしょう。もしかしたら、勝負に敗退した競技者の発する「ホルモオオオォォォーーーッッ」の叫び声が聞こえてくるかもしれませんよ。

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