連載 西村尚子の生命科学探訪⑲
安価な液体のりの成分で、骨髄幹細胞の大量培養が可能に!
9月の連休に、とある場所で「固めるハーバリウム」のワークショ
最新情報
前回に続き、アルツハイマー病に関する話題です。日本ではあまり取り上げられませんでしたが、昨年12月に「異常なアミロイドβ(Aβ)に伝播性がある」との報告がなされました。研究を率いたロンドン大学ユニバーシティーカレッジのJohn Collinge氏は、2015年に初めて伝播の可能性を示唆して以来、自らの仮説検証を重ねていました。
話は飛びますが、1986年から2000年ごろにかけて、欧州、米国、日本などで起きた狂牛病(BSE)の問題を覚えているでしょうか? 発端は、英国で「ある病原体」に汚染された餌(肉骨粉)を与えられた牛での発症でした。BSEを発症した牛の脳はスポンジのように穴だらけになり、立てない、震えが止まらないなどの重篤な神経症状がみられました。英国ではヒトでも同様の発症(後に変異型クロイツフェルト・ヤコブ病と命名)が複数例あり、疫学調査で感染牛の肉を食べたことが原因とされたため、大きなニュースになりました。
「ある病原体」とは、プリオンというタンパク質でした。正常なプリオンは健康なヒトや動物にもみられるタンパク質ですが、「分子の折りたたまれ方(フォールディング)」が異常になると伝播性を獲得し、近接する正常プリオンを次々と異常化させていきます。同時に病原性も発揮するようになり、「プリオン病」と総称されています。
実は、古くからヒトのプリオン病として「クロイツフェルト・ヤコブ病(CJD)」が知られていました。CJDの原因は一つではなく、遺伝性のもの、自然発生と思われるもの、脳の硬膜移植の際に感染したもの、ヒト脳下垂体由来成長ホルモン製剤の使用で感染したものなどがあるとされています。
プリオン病研究の第一人者であるCollinge氏は、低身長治療のために小児期に「ヒト脳下垂体由来成長ホルモン製剤」を投与され、若くしてCJDを発症し死に至った患者8人の脳を解剖する過程で「あること」に気づきました。8人はいずれも30〜50代の若年者でしたが、アルツハイマー病患者の脳でみられる「特徴的なAβの塊」がみられたのです。さらに、患者たちが「アルツハイマー病になりやすい遺伝子」をもっていなかったことを確認した上で検討を重ね、2015年に「立体構造が異常化したAβ(Collinge氏らは「粘着性Aβ」と表現)にも、プリオンのような伝播性があるのではないか」との仮説を提唱しました。
さらに、数十年も保存されていたヒト脳下垂体由来成長ホルモン製剤の解析を進め、2018年には、「製剤の中に高濃度で粘着性Aβが含まれているものがあったこと」、「その粘着性Aβを生きたマウスに投与すると、脳にAβの塊ができたこと」、「人工合成された成長ホルモン製剤を投与しても、そのような塊はみられないこと」を報告しました。
こうした結果から、Collinge氏らは今回の報告で「粘着性Aβがヒトからヒトへ伝播するリスクが浮上した」と結論づけました。また、成長ホルモン製剤に含まれる粘着性Aβが長期にわたって伝播性を保持していた点について「過去に受けた脳外科手術で感染し、数十年後にアルツハイマー病を引き起こす可能性はゼロではない」とし、手術器具などの汚染除去対策を講じるべきだと主張しました。
アルツハイマー病で顕著な、もう一つのタンパク質「リン酸化タウ(p-tau)」については、8人の脳に蓄積はみられなかったとのことですが、Collinge氏らはp-tauも伝播性をもつ可能性があるのではないかとしています。
専門家の多くは、今回の報告を「粘着性アミロイドβの伝播性について、確からしさが高まった」と受け止めています。ただし、Collinge氏らの警告に対しては異論もあり、アルツハイマー病が脳外科手術などによってヒトからヒトに感染するか否かについて結論を得るには、さらなる検証が必要だといえます。
西村尚子
サイエンスライター
おすすめの記事