連載 西村尚子の生命科学探訪⑲
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八村 塁選手のNBAドラフト1巡目指名が、大きなニュースになりました。八村選手だけでなく、新星のごとく現われるや否や、世界の強豪と渡り合う日本人選手の姿には驚きを禁じ得ません。共通するのは、20歳前後の若い世代だということ。「体格のみならず強い精神を兼ね備えた理由があるのかな?」などと勝手に思いをめぐらせていたら、「腸内細菌が一流選手のパフォーマンスを左右する」という斬新な研究報告が入ってきました。
私たちの腸内には約400種、100兆個という途方もない数の細菌が住み着いており、大人では体重の数パーセントを占めるとされています。これらの腸内細菌全体(細菌叢)のことを腸内マイクロバイオームといい、免疫力を上げる、ヒトが消化できない栄養成分を消化する、悪玉菌の感染を防ぐ、といった重要な生体機能を担うことが知られています。一方で、細菌の種類や量などのバランスが悪いと、大腸がん、アレルギー、糖尿病などの原因になることも明らかになっています。
このような知見は、糞便に含まれる腸内細菌由来のDNAを次世代シーケンサーで解読することでもたらされたものです。もちろんDNAはバラバラに千切れた断片と化していますが、コンピュータを使うと、正しくつなげる、菌種を特定する、遺伝子やその機能を推定する、といったことが可能になります。得られた菌種、割合、数などのデータを、被験者の健康状態、食事、生活習慣と突き合わせることで、マイクロバイオームと生体機能との関係が見えてくるというわけです。このような研究手法は、メタゲノム解析と総称されています。
そのなかには、運動機能の変化に関する解析もあります。たとえば、震えや歩行障害がおきるパーキンソン病の患者は、乳酸桿菌(Lactobacillus)という細菌が増えていることが報告されています。ただし、アスリートのパフォーマンスとの関わりについては、今回が初の成果となりました。
今回の研究を行ったのは、米国ハーバード大学医学部などのチームです。同チームは、「一流」と称されるボストンマラソンの出場選手15人と、ランナーではない一般の10人を対象に、ボストンマラソンの1週間前と1週間後の便を提供してもらい、メタゲノム解析を行いました。すると、選手の腸内でのみ、マラソン後にベイヨネラ属の細菌(Veillonella atypica)が有意に増えることがわかりました。研究チームは、マラソン以外のトップアスリート87人にも同様の解析を行い、やはり運動後にベイヨネラ属菌が増えることを確認しています。
ベイヨネラ属菌は、生きていくための炭素源として乳酸を使うことが知られています。一方、パフォーマンスを左右する筋肉は、収縮に必要なエネルギー(ATP)を筋組織中の糖(筋グリコーゲン)を分解することで得ており、その途中で乳酸が作られます。できた乳酸は特定の処理が施された後にミトコンドリアがエネルギー源として再利用するのですが、再利用が間に合わないと、筋肉中に蓄積されていくことになります。
少し前までは、このようにして蓄積する乳酸こそが筋肉疲労の元だとされていましたが、今では、それだけではないとわかっています。未解明部分は残っていますが、筋肉中の乳酸蓄積によって生体が酸性に傾く、筋グリコーゲンの蓄えが少なくなる、ATPが分解されてできるリン酸が筋収縮を阻害する、といったさまざまな要因が複雑に関与しているようです。
研究チームは今回、選手の腸内で増えるベイヨネラ属菌が、どのような遺伝子をもっているのかについても調べています。結果は理にかなったものといえ、ベイヨネラ属菌には「乳酸を分解し、代謝するために必要な全ての遺伝子」が備わっていることが明らかにされました。
ベイヨネラ属菌による乳酸分解機能とパフォーマンスとの関連を調べるために、マウスを使った運動テスト(可能なかぎり長く走らせるトレッドミルテスト)も行っています。マウス16匹の腸内に「マラソン選手の一人から単離したベイヨネラ属菌」を移植したうえで走らせてみたのです。すると、そのようなマウスは普通のマウスにくらべて、「走り続ける時間」が13%長くなるとわかりました。つまり、パフォーマンスが高まったわけです。研究チームは、生体内において、筋肉中の乳酸が血流によって腸まで運ばれ、さらに上皮細胞のバリアを通過して内腔に出てくることも確認したとしています。
マウスで得られた一連の結果をアスリートに置き換えると、筋肉中でできた乳酸が速やかに腸の内腔へと運ばれ、待ち構えていたベイヨネラ属菌によって迅速に分解される流れが見えてきます。もちろん、これだけが要因ではないでしょうが「アスリートのパフォーマンスを左右する鍵の一つ」とはいえるかもしれません。
腸内細菌が代謝して作り出す物質を一括して調べるメタボローム解析も進んでいます。その結果は驚くべきもので、神経伝達物質として知られる物質(ドーパミンやセリンなど)を作り出している細菌もいることなどがわかってきています。腸内細菌がうつ病などの精神疾患や認知症と関連している可能性も指摘されています。
今や、トップアスリートが独自の栄養士をスタッフとして帯同させるのは、当たり前のことだといいます。今回のような腸内細菌研究がさらに進むと、「パフォーマンス向上やメンタル強化に寄与する腸内細菌を増やすメニューやサプリメント」などが登場するかもしれませんね。
サイエンスライター
西村 尚子
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