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連載 西村尚子の生命科学探訪⑭
遺伝子変異によりHIVに感染しない人は、死亡リスクが高め

コラム, テクノロジー

以前のコラムで、「エイズウイルス(HIV)がリンパ球に感染する際にはCCR5という受容体が必要で、この受容体の遺伝子が変異しているためにHIVに感染しない人がいること(参照 骨髄移植でHIV排除、2人目の完治例になる?)」と、「中国の研究者(賀建奎氏)がヒト受精卵のCCR5遺伝子にゲノム編集を施して双子を誕生させたこと(参照 ゲノム編集技術、エピゲノムにも使えるように!)」に触れましたが、覚えているでしょうか。先日、いずれにも関連しそうな大規模な疫学調査結果が報告されたので、今回はその概略を紹介したいと思います。

中国で双子を誕生させた賀氏は、「父親がHIV感染者だったので、子どもへの感染を防ぐためにゲノム編集した」と釈明しました。賀氏の行動に対しては、ゲノム編集などしなくても精子中のHIVを除去する手法がある、ゲノム編集による子どもへの影響が不明、ゲノム編集技術そのものがヒトに応用できるほど成熟していない、独断でヒト受精卵をゲノム編集した行為が生命倫理観念を逸している、などとして、世界中から非難の声が上がりました。

賀氏は、欧州に一定数いるとされる「CCR5遺伝子が2本とも、一部が欠損しており(ホモ変異体という)、そのために受容体の構造が異常になったり、受容体が作られなくなることでHIVに感染しない人」を模倣したとされます。このような人がいることは確かです。以前のコラムで紹介したとおり、公正な医療行為として白血病を併発したHIV患者に「CCR5がはたらかないドナー由来の白血球」を用いた骨髄移植が複数例行われており、2009年と2019年にはHIVが検出されなくなった例が1つずつ報告されています。また、HIV患者のリンパ球にCCR5遺伝子変異を導入する遺伝子治療が試みられたことも、ご紹介したとおりです。

一方で、CCR5遺伝子のホモ変異体をもつ人には、免疫系の異常があることが指摘されています。たとえば、「2本の遺伝子の両方に、 32 塩基対の欠失がある(△32ホモ変異体)」の人は、健康な人の4倍感染症にかかりやすい、インフルエンザウイルス感染による死亡率が高い、といった報告がなされています。ただし、いずれも解析規模が小さく、「示唆されるレベル」に留まっていました。

ところが先日、米国のカリフォルニア州立大学バークレー校とデンマークのコペンハーゲン大学による共同チームが、英国のバイオバンクに登録された40万9693人分の臨床データを対象にした大規模な疫学研究を行い、かなり確かな解析結果を得ました。同チームは、3タイプのCCR5遺伝子(2本とも変異した△32ホモ変異体、片方だけに変異がある△32ヘテロ変異体、変異が全くない正常遺伝子)をもつ人の臨床データを抽出した上で統計的な処理を施し、「各タイプの、41〜78歳までの1年ごとの生存率」を割り出したのです。その結果、△32ホモ変異体の人は、他の2タイプにくらべて、76歳まで生存する確率が21%低いことが明らかにされました(77、78歳のデータはサンプル数が小さいために除外されたとのこと)。

研究チームは、△32ホモ変異体の人々が短命な傾向にある要因については明らかにしていませんが、「HIVに感染しにくい代償として、ありふれた疾患にかかりにやすくなった可能性がある」と言及しています。実は、賀氏が双子の受精卵に施したのも「CCR5遺伝子が△32ヘテロ変異体になるようなゲノム編集」だとされています。その点を意識しているのだと思いますが、今回の研究チームは「ゲノム編集に△32ヘテロ変異体を導入することには、かなりのリスクが伴う」とも指摘し、この点を拡大解釈したメディアは「中国の双子は感染症にかかりやすく、短命かもしれない」とややセンセーショナルに報道しました。

さらに6月13日には、火に油を注ぐようなニュースが飛び込んできました。科学雑誌natureがニュース欄で、「ロシアの分子生物学者(デニス・レブリコフ氏)も賀氏と全く同じ目的と手法で、ヒト受精卵にゲノム編集を施し、赤ん坊を誕生させようと計画している」と報じたのです。もちろん、日本や欧米各国では中止を求める意見が上がっていますが、レブリコフ氏はnatureの取材に対し「安全性は高いと確信しているが、クレイジーなことだとは十分認識している」と、開き直りともとれるコメントを残しています。

CCR5受容体は白血球などが炎症部位に集まるためにはたらきますが、未解明な機能も残されていると考えられています。集団遺伝学的に考えれば、どのような機能をもつにしろ「進化の最先端にいる現代人にCCR5遺伝子が備わっている事実は、この遺伝子が生存に有利にはたらくことを示唆している」と考えるべきでしょう。今回の成果は、このような解釈を支持しただけでなく、機能の不確かな遺伝子を安易にゲノム編集することの危うさも改めて浮き彫りにしたといえそうです。

サイエンスライター
西村 尚子

 

 

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