連載 西村尚子の生命科学探訪⑲
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エイズ(後天性免疫不全症候群)を発症させるエイズウイルス(HIV)は、一度感染したら生涯にわたり完全に排除することはできず、完治もありえないとされています。ところが、例外として一人、完治に至った患者がいます。約10年前に造血幹細胞移植を受けたベルリン在住の男性、通称「ベルリンの患者」です。ところが先日、「完治したかもしれない2人目の患者」が報告され、ベルリンの患者が例外ではなかった可能性が示されました。
1人目の患者は、英国のケンブリッジ大学病院で治療を受けている最中に白血病を発病しました。化学療法で治療できる病型ではなかったために造血幹細胞移植が行われたのですが、医師はその際にある工夫をしました。単に白血球型の合うドナーではなく、「HIVに感染することのない特別なドナー」を探し出したのです。
HIVは、ヒトの白血球(リンパ球)に感染する際に「細胞膜にある受容体(CD4やCCR5)」を利用します。欧州では、 1~10%の割合でCCR5遺伝子の変異がみられるとされ、そのような人はこの受容体がうまく機能しないためにHIVに感染しません。ケンブリッジ大学の医師は、患者に移植可能な白血球型をもつドナーから、CCR5遺伝子変異の人をみつけて患者に移植しました。すると、患者の白血球は「ドナー由来の白血球」に置き換えられ、体内からHIVが検出されなくなったというのです。
2人目かもしれない今回の患者も白血病を併発し、CCR5遺伝子変異の造血幹細胞が移植されました。経過は良好で、移植後16か月時点で治療薬(抗レトロウイルス薬)をやめることができ、さらに18か月たった現在も、体内からHIVが検出されない状態だということです。
今回の成果を報告したケンブリッジ大学の感染症専門医は、移植後の患者から白血球を採取して試験管内での検証実験を行い、「HIVを感染させることはできなかった」としています。完治したかどうかを判断するには時期尚早ですが、ベルリンの患者が、唯一の例外ではないことを強く示したといえます。一方、米国では、「HIV感染患者自身の白血球を取り出し、ゲノム編集技術を使って人工的にCCR5 遺伝子を破壊したうえで再び患者に戻す」という臨床試験が進められ、成果が上がっているそうです。
昨年、「受精卵をゲノム編集し、双子を誕生させた」と報告した中国の研究者が行ったのも、CCR5遺伝子に変異を入れる操作でした(「ゲノム編集技術、エピゲノムにも使えるように!」を参照。https://www.labinnew.net/column4_genomeedit/)。この研究者は、「父親がHIVに感染していたため、子どもにHIVに対する免疫をもたせたかった」と主張し、生まれた子どもの白血球がHIV耐性をもつことを確認したと報告しました。
ただし、「改変した遺伝子が、子や孫に受け継がれる受精卵」にゲノム編集を施したことに対し、世界中から非難の声があがりました。中国政府は研究の中止を命じ、所属大学はこの研究者を解雇したとのことです。父親がHIV感染者でも子どもの感染リスクを減らす技術はすでにありますので、ゲノム編集など必要なかったのです。
CCR5受容体は、決して不要なものではありません。体内に病原体などが侵入した際に、炎症反応を誘発する重要な機能を担っています。現在のHIV感染症の治療では「CCR5受容体の機能を阻害する薬(マラビロク)」も使われていますが、自己免疫疾患に似た症状がでる、感染症にかかりやすくなる、といった免疫系の副作用が報告されています。
一方、CCR5遺伝子を欠損させたマウスによる実験では、角膜の血管新生が異常になる、一部のウイルスの感染リスクが高くなる、一部のウイルスで感染時の致死率が高まる、といったことが報告されています。
造血幹細胞移植では、事前に強力な化学療法と放射線照射が必要なため、「命の危険をおかしてまでCCR5受容体以上の骨髄幹細胞移植が必要とは思えない」と考える医師も少なくないようです。もちろん、CCR5受容体をターゲットにした治療オプションは用意されるべきだと思いますが、研究や治療は、安全性の担保を第一に進めてほしいと願います。
西村 尚子
サイエンスライター
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