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NHK映像の世紀バタフライエフェクト「ヒトラーVSチャップリン 終わりなき闘い」

先日、NHK映像の世紀 バタフライエフェクトの「ヒトラーVSチャップリン 終わりなき闘い」を見ました。初回放送は昨年の6月6日。あら、この日って私の誕生日だったりして…。まぁそんな事はどうでも良いとして・・・

全くイメージの異なるチャップリンとヒトラーですが、わずか4日違いで生まれた2人は、長きにわたって壮絶な闘いを繰り広げていますが、2人には多くの共通点があったようです。小柄でチョビひげ、そして映像を駆使して大衆を熱狂させるプロパガンダ術。チャップリンは民主主義を、ヒトラーはファシズムを訴えたのです。チャップリンは後にこう語っているそうです。「ひとつ間違えば、私たちは逆になっていたかもしれない」。独裁者と喜劇王、因縁のふたりの終わりなき闘いの物語が今回の中身。

ヒトラー(アドルフ・ヒトラー)は、独裁者で、第2次世界大戦を引き起こし、ユダヤ人への大量虐殺を行った人物として、悪い意味で後世まで名を残しています。一方のチャップリンは、言うまでもなく世界的に有名な喜劇王であり、人間的にも素晴らしく私の尊敬する偉人の1人でもあります。『キッド』や『街の灯』、『モダン・タイムス』など何度も繰り返し見てしまうほどです。『街の灯』なんぞは涙失くしては見られない傑作でした。

2人の目指す方向性は真逆でした。

ヒトラーは演説を武器に民衆に、「ファシズム」の優位性を訴え、やがて戦争へと巻き込んでいきます。チャップリンは、笑いを武器に人々へ、「自由と民主主義」を訴えていきます。映像を武器にしたヒトラーとチャップリン第一次大戦の頃に、映画デビューを果たしたチャップリン。若い頃のチャップリンは、戦争に突き進む社会に疑問を抱きながらも、そのことに意義を唱えることはありませんでした。チャップリンは、サイレント映画で成功を収めます。その後、「トーキー」という映像と音声を同時収録する手法が可能となりますが、「トーキーは沈黙の美を破壊するから、好きじゃない」と言って、サイレント映画にこだわり続けます。サイレント映画のままでも、チャップリンの映画はヒットを続けます。

一方のヒトラーは、トーキーの可能性をいち早く見抜き、プロパガンダ映画の制作に力を入れていました。ヒトラーは「共産主義」と「ユダヤ人」を敵としました。次第に、チャップリンもヒトラーの標的となっていきます。その理由は、風貌が似ていたこと、チャップリンがユダヤ人だと見なされていたからでした。ちなみに、チャップリンはユダヤ人ではないですが、「ユダヤ人のチャップリン」と言い切ったナレーションが入った映像をナチスは作成しています。

ヒトラーとの直接対決!チャップリン映画「独裁者」の制作へ

1938年、ヒトラーはドイツの隣国・オーストリアを併合。さらには、チェコスロバキアのズデーテン地方を割譲します。このことが、チャップリンにヒトラーとの直接対決を決意させることになります。ヒトラーが自分と似ていると言われていることを逆手にとり、ヒトラーのパロディ映画を制作。ヒトラーを笑いものにすることで、ファシズムを批判したのです。そのために、嫌っていたトーキーを取り入れます。

この頃は、アメリカはまだドイツと敵対していませんでした。ヒトラーは名指しこそしませんでしたが、この映画制作には不快感を示し、チャップリンのいるアメリカを牽制しました。アメリカやイギリスも映画制作に難色を示していました。しかし、当のチャップリン本人は、

「脅迫や検閲について心配はしていない」と言ってのけます。

1940年、フランスがナチスドイツに降伏。ヒトラーはパリに入ります。この知らせを受け、チャップリンは映画のラストシーンを変更します。もともとは、戦争が終わり、兵士たちが楽しくダンスを踊るというラストでした。しかし、映画の中での独裁者に似ているユダヤ人の主人公が、独裁者に間違えられ、舞台に上がり演説をするというラストに変更になりました。そこには笑いは一切なく、自由や独裁者への批判を訴える、まさにチャップリンの魂の演説です。

周囲は、興行収入に影響することを恐れて、反対していたのですが、チャップリンはラストの演説は、決して譲りませんでした。チャップリンの魂の叫びには争いを排除し平和を願う強い思いが込められていました。映画の中で、是非、耳を傾けてみて下さい。

本来、1人1人の人生は誰かに虐げられたりするものではなく、美しく自由なはずなのです。チャップリンの武器は、戦車でも銃でもない、「笑い」です。人々を恐怖に陥れる本物に独裁者とは対照的に、チャップリンは笑いで人々を楽しませながら、自分の思いを訴えていくのです。この映画の批評に次のようなものがあります。

「笑いとはヒトラーが最も恐れる武器であり、それは一個師団以上の力なのだ」と。チャップリンが笑いを通して、自由の素晴らしさや独裁者への批判を訴え、それが広まっていくことはヒトラーにとっては厄介でしかないのです。当時のドイツや同盟国であるイタリア、日本では、この「独裁者」は上映されませんでした。

当時チャップリンは、「何としてもヒトラー本人の感想が聞きたいね」と言っています。やがて、ヒトラー率いるドイツは、敗戦。ヒトラーは自殺します。

第2次世界大戦が終結しても、チャップリンの闘いは続きました。アメリカは、共産主義との対立姿勢を示していきます。その一環で、映画界のウォルト・ディズニーら映画界の大物たちが、公聴会に呼び出され、共産主義者なのか、質問をされました。チャップリンにも呼出状が届きます。チャップリンは呼び出しには応じず、

「わたしは共産党員ではありません。平和の扇動者です」と電報を返しました。

この頃にチャップリンが制作した映画のなかに、次のようなセリフがありました。「1人を殺せば悪党だが、百万人を殺せば英雄だ」というもの。これは、当時、核開発に突き進むアメリカに対する痛烈な批判でした。この映画はアメリカの在郷軍人たちの反感を買い、大勢が映画館へ押しかけ上映禁止を訴える騒ぎになりました。議員の中にも、チャップリンを国外追放にすべし、という声があがります。

そして、1952年、チャップリンが海外旅行で国外へ出たタイミングで、チャップリンはアメリカへの再入国が禁止され、そのまま国外に追放されました。チャップリンが名誉を回復し、再びアメリカに入国するのに20年の月日を要することになります。自由と平和のために、闘い続けたチャップリン。

「ひとつ間違えば、私たちは逆になっていたかもしれない」。

そんな事は絶対ないと思う私なのであります。萩本欽一さんがチャップリンの大ファンであることは有名な話ですが、欽ちゃんがチャップリンに会いに行った時の話は、チャップリンの素晴らしさを物語っているので、興味ある方は是非調べてみて下さい。

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