天国の娘から
ある新聞記事より・・・
娘の遺品から見つかった母親想いの置き手紙
45歳でこの世を去った娘が過ごした部屋。お母さんは、まだ1年余りしか経過していない部屋に入ると胸が押しつぶされてしまいそうな気がして、ずっとドアを開けられずにいました。
放りっぱなしになった遺品を整理するため、思い切って足を踏み入れた2階の部屋で見つけたのは、20センチ四方のアルバム。白い表紙を開くと、自分と娘のツーショット写真がカラー印刷されていました。さらに1枚、2枚とページをめくると、二つ折りのメッセージカードと小さな紙片が挟んでありました。
「お母さんへ」
いつも本当にありがとう。思い返せば、私ががんになった時から寄り添ってくれて、どんな時も私のそばにいてくれたね。
今年で5年目。感謝の気持ちでいっぱいです。お母さんも疲れてきたよね。この先、どーなるんだろうと思うことばかりで…。
でも、どんな時も、笑っていてほしい。
私はお母さんの笑顔が本当に大好きです。
笑っていれば何とかなると思います。
皆で笑っていたいです。
同じ一日でも笑顔の方がいいよね。・・・
澤田さんは直筆の手紙を読み進めるうち、娘と過ごした日々が頭に浮かび、涙が止まらなくなりました。それまで大きな病気をしたことのなかった長女、典子さんの体に異変が起きたのは2016年。大便時の出血が気になり、近所のクリニックにかかりました。いわゆる「いぼ痔」と診断されましたが・・・。クリニックの治療では症状がよくならないので、約2年後、別の医療機関で内視鏡検査を受けることに・・・。すると、直腸がんを患っていることが分かったのです。抗がん剤治療を受け始める頃にはステージ4まで進行しており、主治医から「余命1年か、2年」と告げられました。
闘病中は全身にひどい痛みが走り、抗がん剤の副作用にも苦しみました。食欲は細り、病院食に手をつけられない日々が続きました。
そんな典子さんがほぼ毎日、お昼時にほお張る食べ物がありました。典子さんは地元の今宮神社の参道で売られる「あぶり餅」が大好物でした。初詣以外にもことあるごとに神社へお参りし、炭火であぶられた名物を堪能しました。病気でお参りするのが難しくなってからは、自宅でも簡単に味わえるよう自作レシピを考案するほど。
作り方はいたってシンプル。市販の切り餅2つをレンジで温め、メープルシロップ、白みそ、きな粉と一緒に餅の形がなくなるまでかき混ぜます。もちろん見た目も味も本物のあぶり餅とは全然違いますが、素朴で優しい口当たりは同じでした。 澤田さんは娘から教わったレシピ通りに毎日、自作のあぶり餅を作って病室に届けました。典子さんはそれを喜び、とろとろの餅をはしですくい上げては満足そうな表情を浮かべていました。
一方、病の進行に歯止めはかからず、典子さんは2022年1月、積極的な治療を断念。最期の時間を自宅で過ごすことに決めました。亡くなる少し前、おしゃれをして写真におさまる典子さん。典子さんは自力で歩くこともできなくなり、大好きな餅も3月を最後に食べられなくなりました。病状が悪化して5月27日に緊急入院。6月1日未明、帰らぬ人となったのです。
澤田さんは娘に先立たれた事実を受け入れられず、しばらくの間、遺品に触れることもできませんでした。それでも1年が過ぎようとした頃から、娘が遺したアルバムや日記に目を通すようになっていました。
ある時、小さなメモ帳に記された「やりたいことリスト」を見つけました。
「子猫を飼う」「台所をすっきりする」「一蘭のラーメンを食べる」「がんの本を出す」・・・
人の思いは人を動かす力になっていく・・・そんなきが
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