連載 西村尚子の生命科学探訪⑱
細胞どうしを正しく貼り付け、 必要に応じて接着度合いを調節するしくみとは?
「つかず離れずの、適度な距離感」は、複雑な現代社会で円滑な人
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9月の連休に、とある場所で「固めるハーバリウム」のワークショップに参加しました。ハーバリウムという名称、はじめて知ったのですが、平たく言うと「ドライフラワーやビーズをレイアウトして、透明な合成樹脂の中に閉じ込めるオブジェ」のこと。完成品の弾力や手触りはスーパーボールそのものですが、光の透過率が約90%とガラスに匹敵する透明度をもち、何年たっても変色しないのが特徴だそう。容器内に好きなように配置したうえで、主液と硬化液の2種を混ぜたものをゆっくり注ぎ込むと発熱しながら硬化しはじめ、30分ほどで容器から抜き出せるようになります(かなりの力とコツがいりましたが)。
「ある一瞬」を永遠に閉じ込めてしまう世界に魅せられて2つ作り(写真)、帰宅して飾ったところで「この樹脂はいったい何なのか」と気になり出しました。調べてみると、主液はエポキシ樹脂、硬化液は変性ポリアミンとのこと。両者を混ぜると縮合反応が進み、強度、耐衝撃性、剛性の大きい熱硬化性共重合体になるとわかりました。エポキシ樹脂は、液体のりの原料として知られています。「こんな使い方もあるのね」と感心したのですが、同時に「安価な液体のり」というワードで、造血幹細胞の大量培養を可能にした研究のことを思い出しました。
natureに発表された論文にあたってみると、こちらはポリビニルアルコール(PVA)を利用した、とありました。PVAも合成樹脂の一つで、ポリ酢酸ビニルをけん化させたもの。親水性で水に溶けると粘性をもち、生体への安全性と親和性が高いことから、単なる液体のりとしてだけでなく、洗濯のり、コンタクトレンズ用装着剤、固形薬の結合材、シャンプー、化粧品と、多方面で使われているようです。
今回の造血幹細胞に関する研究を行なったのは、東京大学医科学研究所、理化学研究所、米国のスタンフォード大学の共同研究チームです。造血幹細胞は未分化なまま増殖させるのが難しく、月単位での培養は困難でした。ところが研究チームは、1か月どころか数か月にわたり、マウスの造血幹細胞を未分化状態のまま大量増殖させることに成功しました。しかも、「たった一つ」の造血幹細胞を増やして骨髄を破壊した複数のマウスに移植する実験により、移植細胞から分化した骨髄系の細胞が機能して、正常な免疫系を構築することを確認したとしています。
同チームは、従来の培地においてなにが安定した未分化維持を阻害するのかを調べ、細胞分裂を誘導するために加えるアルブミンの精製過程で残存する「雑多な生理活性物質」に原因があると突き止めました。ただし、アルブミンを加えないと、造血幹細胞は増えなくなってしまいます。そこで、「機能を代替できる生体由来ではない物質」をみつけようと、さまざまなポリマーを候補にしてスクリーニングを行い、PVAにたどり着いたというわけです。PVAが候補物質に加えられたのは、PVAがES細胞(胚性幹細胞)の培地成分として使われることがあるからだと思われます。
再生医療への臨床応用が期待されるES細胞も、未分化性を維持したままで、長期間、大量増殖することが望まれます。そのために従来は、他種生物由来の血清やフィーダー細胞(増殖の足場となる細胞)が培地に添加されていたのですが、拒絶反応や感染症のリスクがあるために臨床現場では使えません。そこで、血清もフィーダー細胞も使わない培養方法が模索され、液体中に浮遊させて培養する、遺伝子組み換え技術によるヒト型タンパク質を足場に使う、ナノファイバーを足場に使う、といったさまざまな手法が開発されています。実は、その一つにPVAを利用する手法があったのです。もちろん、血清やフィーダー細胞にも雑多な生理活性物質が残留しているため、未分化性の維持という観点からも、これらを使わない手法が求められた側面もあります。
今回は、50個の造血幹細胞を大幅に増やしたうえで、「免疫系に異常のあるマウス」に大量に移植する実験も行われ、異常(免疫不全)が正常化することも確認されました。驚くべきことに、これらのマウスには必須とされる骨髄破壊の前処置が行われておらず、同チームは「大量の造血幹細胞を移植すれば、放射線や抗がん剤による前処置が不要だとわかった」と結論づけています。
今後の検証によって、ヒトでもマウスとほぼ同様だとわかれば、白血病やリンパ腫などの患者さんにとって、骨髄移植のチャンスが大幅に増えることになります。仮に、ヒトでも放射線や抗がん剤による辛い前処置が不要となれば、まさに、願ったり叶ったりといえます。論文がオンラインで発表された5月30日には、「研究の中心人物である東大の山崎 聡 特任准教授は、コンビニの液体のりでも培養できることを確認した」といった報道もありました。イグ・ノーベル賞を彷彿とさせるようなエピソードですが、「誰もが知っている安価なのり」で、骨髄移植の実態が劇的に改善されるかもしれないとは! この先の研究がうまくいくことを願います。
サイエンスライター
西村尚子
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